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東京高等裁判所 平成2年(行ケ)144号 判決 1992年8月18日

東京都千代田区神田駿河台四丁目六番地

原告

株式会社日立製作所

右代表者代表取締役

三田勝茂

右訴訟代理人弁理士

小川勝男

中村守

武顕次郎

山田利男

東京都千代田区霞が関三丁目四番三号

被告

特許庁長官

麻生渡

右指定代理人

平野雅典

左村義弘

田辺秀三

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

「特許庁が昭和六三年審判第五〇五五号事件について平成二年三月二二日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

二  被告

主文と同旨の判決

第二  請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

原告は、名称を「音声信号記録再生装置」とする発明について、昭和五五年八月二五日、特許出願をしたところ、同六三年二月八日、拒絶査定を受けたので、同年三月三〇月、審判を請求した。特許庁は、右請求を同年審判第五〇五五号事件として審理した結果、平成二年三月二二日、右請求は成り立たない、とする審決をした。

二  本願発明の要旨

「単一あるいは複数のチャンネルの第1の音声信号を映像信号とともに同一磁気テープ上の映像信号の記録領域に重畳して記録し再生する回転ヘッドと、回転ヘッドに第1の音声信号と映像信号を供給する第1の信号入力回路と、回転ヘッドにより再生された第1の音声信号と映像信号とが入力される第1の信号出力回路と、前記回転ヘッドを第1の信号入力回路または第1の信号出力回路に切り換え接続する第1のスイッチ手段を有してなるヘリカルスキャン型の映像信号記録再生装置に使用される音声信号記録再生装置において、テープ走行方向に平行に磁気テープ上に形成された音声トラックに第2の音声信号を記録し再生する固定ヘッドと、固定ヘッドに第2の音声信号を供給する第2の信号入力回路と、固定ヘッドにより再生された第2の音声信号が入力される第2の信号出力回路と、前記固定ヘッドを第2の信号入力回路または第2の信号出力回路に切り換え接続し、かつ前記第1のスイッチ手段が回転ヘッドを第1の信号出力回路に接続しているときに前記固定ヘッドを第2の信号入力回路に接続可能な第2のスイッチ手段とを有し、回転ヘッドにて第1の音声信号と映像信号を再生すると同時に固定ヘッドにて第2の音声信号を記録できることを特徴とする音声信号記録再生装置」(別紙図面(一)参照)

三  審決の理由の要点

1  本願発明の要旨

前項記載のとおりである。

2  引用例

(一) 引用例一(特開昭四九-二四六二八号公報)には、高域に輝度信号を、低域に周波数変換された色信号を、これら輝度信号と色信号との中間に形成された帯域に周波数変調された音声のような低周波信号を回転ヘッドによって記録・再生する磁気記録再生装置(別紙図面(二)参照)が示されており、さらに、従来の音声記録トラックをも併用し得る旨の記載がある。

(二) 引用例二(昭和四四年三月二〇日日本放送出版協会発行、阿部美春他四名共著「テープレコーダ」二六三、二六四頁)には、ステレオテープレコーダを使って、一つのトラックに録音された音声を再生しながら、他のトラックに録音を行うアフターレコーデインク(以下「アフレコ」という。)の技術が記載されている。

3  本願発明と引用発明一との対比

(一) 共通点

音声信号を周波数変調し、映像信号と周波数、多重して回転ヘッドにより記録し再生すること及びテープ走行方向に平行な従来の音声記録トラックを併用する点で、両者は基本的な構成が共通する。

(二) 相違点

引用例一には、本願発明における固定ヘッドを信号入力回路と信号出力回路に切り換えて接続するスイッチ手段が示されていない点(相違点<1>)及び同引用例には、回転ヘッドで第一の音声信号と映像信号を再生すると同時に固定ヘッドで第二の音声信号を記録できることが示されていない点(相違点<2>)でそれぞれ相違する。

4  相違点についての判断

ヘッドを記録と再生に兼用するために切り換えるスイッチを設けることは、ビデオテープレコーダ(以下「VTR」という。)において従来より極めて普通に行われているところであるから、相違点<1>は単なる周知技術にすぎない。また、複数の音声記録トラックを有する磁気記録再生装置の使い方として、一つの音声記録トラックに記録されている音声信号を再生しながら他のトラックに記録を行うアフレコの技術が、引用例二に記載されているように周知であるから、テープ走行方向に平行な従来の音声記録トラックをアフレコに使用する程度の相違点<2>は、引用例二に記載された技術を単に転用したにすぎず、その転用に格別の困難性があるとは認められない。

5  よって、本願発明は前記各引用例に示された技術内容に基づき、当業者が容易に発明することができたものであるから、特許法二九条二項により特許を受けることができない。

四  審決の取消事由

審決の理由の要点1は認める。同2(一)は認める。但し、引用例一に記載の「従来の音声証録トラック」とは、テープ走行方向に平行な音声記録トーラックを意味するものではない。同2(二)は認める。同3(一)前段は認めるが、後段は争う。引用例一における「従来の音声記録トラック」とは、「テープ走行方向に平行な従来の音声記録トラック」を意味するものではないから、この点を本願発明との共通点とすることはできない。同3(二)は認める。同4のうち、固定ヘッドを記録と再生に兼用するために切り換えスィッチを設けることは、VTRにおいて従来より極めて普通に行われていることは認め、その余は争う。同5は争う。審決は、引用例一記載の技術内容の理解を誤った結果、本願発明と引用発明一の共通点を誤認して相違点を看過し、ひいては右の誤った理解に基づき相違点<1>、<2>を判断の上、本願発明の進歩性を否定したものであるから、違法であり、取消しを免れない。

審決は、引用例一が、テープ走行方向に平行な従来の音声記録トラックを併用する点で本願発明の構成と共通であるとする。しかし、同引用例に記載された「従来の音声記録トラック」とは、「テープ走行方向に平行な音声記録トラック」を意味するものではない。なぜなら、引用例一の出願当時においては、固定ヘッドによるテープ走行方向に平行な音声記録トラックの形式も、回転ヘッドによるテープ走行方向に斜めの音声記録トラックの形式も共に当業者間に周知の技術であった(本願出願当時、後者が周知であったことについて甲第七号証参照)ことからすると、前記の「従来の音声記録トラック」との記載から、直ちに、この「音声記録トラック」が前者の音声記録トラツクを意味するものであると特定できるものではない。

かえって、引用例一で併用される「従来の音声記録トラック」が、同引用例の「ステレオ記録等」のたあのものであるとの記載からすれば、「ステレオ記録」の場合には二つのトラック間で同品質の記録再生特性(周波数特性、ワウフラツタ特性、雑音特性、位相特性等)が要求されることは当然の技術常識であるから、前記の「従来の音声記録トラック」とは、後者、すなわち、回転ヘッドによるテープ走行方向に斜めの音声記録トラックを意味するものと解すべきものであり、これが審決認定のように、映像信号記録トラックと著しく記録再生特性の異なる固定ヘッドによるテープ走行方向に平行な音声記録トラックを意味するものとは到底考えられないところである。また、以上のことは、引用例一にテープ走行方向に平行な音声記録トラックが図示されていないことからみても、明らかというべきである。

このように、引用例一の「従来の音声記録トラック」はテープ走行方向に平行な音声記録トラックではないから、引用例一には、本願発明におけるテープ走行方向に平行な磁気テープ上に形成された音声記録トラックに第二の音声信号を記録し再生する固定ヘッドが示されていない。

しかるに、審決は、引用例一に記載された「従来の音声記録トラック」をテープ走行方向に平行なトラックと誤認した結果、この点を本願発明の相違点として採り上げるべきであるのに、共通点と捉えたため、両発明の相違点を看過した。

なお、審決の相違点<1>及び<2>に対する判断は、引用例一に固定ヘッドによるテープ走行方向に平行なトラックが存在することを前提とした判断であるところ、前述したように、同引用例には右に述べたテープ走行方向に平行なトラックは存在しないのであるから、右判断は、本願発明の進歩性を否定することにはならない。

第三  請求の原因に対する認否及び反論

一  請求の原因に対する認否

請求の原因一ないし三は認めるが、同四は争う。

二  反論

1  原告は、引用例一記載の「従来の音声記録トラック」とは、「テープ走行方向に平行な音声記録トラック」を意味するものではない、と主張し、審決の共通点の認定判断は誤りであると主張するが、以下に述べるように、失当である。

VTRにおいて、テープ走行方向に平行なトラックに固定ヘッドにより音声の記録を行うことは、日本電子機械工業会統一1形VTR等に使用されていて、本願出願前に周知の技術である。

ところで、引用例一には、「本実施例では、カラー映像信号を磁気テープ上に記録するに際し、磁気テープ上に記録される各々の映像信号の磁気トラック間にガードバンドを設けることなく、相隣る磁気トラックが互いに接触する様に又はそれらの一部が互いに重なるようにして記録することにより、磁気テープに対する記録能率を向上できる様にした場合について説明する。」(一頁左欄一九行ないし右欄六行)と記載されている。また、同引用例には、「更に本実施例においては第10図に示す様に、第1図及び第8図にて説明した一対の磁気ヘッド(22a)及び(22b)の所謂アジマスを互いに異ならせている。・・・これによりテープ(23)上には第11図に示す様に交互に磁化方向を異にするトラックが形成される。・・・この様に構成することにより隣接するトラックを極めて接近させて記録し、又は所謂ガードバンドをなくして即ち隣接するトラックを互いに接して記録し、或る場合は第12図に示す様に隣接するトラックの一部が互いに重なる様に記録しても、爾後述べる再生に際して隣接するトラックの記録信号を再生し、所謂クロストークを生じるおそれがない。かかる構成によれば、磁気テープ(23)に対する記録密度を向上させることができる。」(四頁右下欄八行ないし五頁左上欄九行)との記載がある。

以上のように、引用例一は、ガードバンドを設けなくて済むように一対の磁気ヘッドの所謂アジマスを互いに異ならせるようにして、磁気テープに対する記録能率を向上できる様にしたVTRで実施例を説明しているのであるから、原告主張のように、映像トラック間にガードバンドを確保して、斜めの音声記録トラックを設けることは、この記録向上と逆行するものであって、有り得ないものというべきである。

また、同引用例の第12図には、映像信号の記録領域が隣接トラック間で一部重なるよう実施例が示されていることからみても、斜め方向の音声記録トラックを設ける余地はないものというべきである。なお、同図には、テープ走行方向に平行なトラックの記載がないが、右は、同引用例における主題である回転ヘッドで記録する映像・音声重畳の記録技術について詳述し、主題となっていない音声の記録については、説明の都合上、VTRに必須のコントロールトラックの図示を省略していることからも明らかなように、音声記録トラックの記載余地を設けるのを省略しているものである。

しかして、原告主張の取消事由は、引用例一記載の「従来の音声記録トラック」が「テープ走行方向に平行な音声記録トラック」を意味するものではないことを前提とするものであるところ、右に述べたとおり、右前提自体が誤っているものであるから、右取消事由が失当であることは、明らかである。

2  引用例二には、「アフレコは、たとえば、一人二重唱(奏)とか、別どりしてこれに重ねるといったサウンド・オン・サウンド録音や軽音楽のレコードを再生し、これにあわせて歌をいれたりするなど、テープレコーダの利用でかなり録音を楽しむことができます。」と記載され、また、「〔第9-12図〕マルチトラックを利用したアフレコ」と記載されていることからみると、マルチトラックを有する「ステレオテープレコーダを使って、一つのトラックに録音された音声を再生しながら、他のトラックに録音を行なうアフレコの技術」が同引用例に記載されていることは明らかである。

一方、映像・音声重畳記録方式の映像信号記録再生装置における音声記録トラックは、一つは映像信号の記録領域に存在し、もう一つは「従来の音声記録トラック」、すなわち固定ヘッドにより記録されるテープ走行方向に平行なトラックに存在することは前述したとおりであるから、映像・音声重畳記録方式の映像信号記録再生装置でアフレコを行う場合、重畳記録された映像信号及び音声信号を回転ヘッドで再生しながら固定ヘッドで第2の音声信号(アフレコ音声信号)を記録するようにすれば実現できることであって、相違点<2>は、引用例二に記載されている技術を単に転用したものにすぎず、その転用に格別の困難性があるものとはいえないとした審決の認定判断に誤りはない。

第四  証拠

証拠関係は、書証目録記載のとおりであるからこれを引用する。

理由

一  請求の原因一ないし三の事実は当事者間に争いがなく、審決の理由の要点のうち、引用例一記載の「従来の音声記録トラック」の意味内容を除くその余の各引用例の記載内容には争いがないから、本件の争点は、右「従来の音声記録トラック」が「テープ走行方向に平行な音声記録トラック」を意味するとして、この点において本願発明の構成と共通するとした審決の認定判断の当否である。

二  本願発明の概要

いずれも成立に争いのない甲第二号証(本願発明の特許願添付の明細書)、同第三号証(昭和五八年三月四日付け手続補正書)及び同第四号証(昭和六三年四月二五日付け手続補正書)によれば、以下の事実が認められ、他にこれを左右する証拠はない。

従来の映像信号と音声信号を同一磁気テープ上に重畳して回転ヘッドで記録するヘリカルスキャン形の磁気記録再生装置においては、音声信号を映像信号の記録トラック上に重畳記録する方式であるため、音声信号は常に映像信号の記録時に記録しなければならず、後から画面説明のための音声を付加するためには、既に記録してある映像信号を消去してしまうため、極めて困難であった。

本願発明は、以上のような従来技術の欠点を解消し、音声信号を映像信号記録トラック上に重畳記録する方式においても、アフレコを可能にすることを目的とするものである。右目的を達成するために採択した方法は、主たる音声信号は映像信号に重畳して記録し、画面説明のためのアフレコは、固定ヘッドによって音声信号専用のトラックに記録するように使い分ける方法である。この方法による場合には、アフレコ音声信号の再生周波数帯域は狭いが、アフレコは主として画面説明のたあに用いられるので、実用上問題はない。

三  取消事由について

1  引用例一に「従来の音声記録トラック」なる記載があることは、当事者間に争いがない。

そこで、右「従来の音声記録トラック」の意味について検討する。

成立に争いのない乙第一号証(昭和四七年三月三〇日日本放送出版協会発行、原正和・高橋三郎著「小形VTR 統一形のしくみと録画の実際」)によれば、我が国では、昭和三九年に小形VTRが発売されて以降、メーカー約一〇社間において、テープの走行速度、記録方式、テープ上の記録パターン等がそれぞれ異なっていたことから、記録テープの互換性が全くなく、記録テープのメーカー相互の互換性の実現が望まれていたところ、昭和四二年、メーカーの団体である電子機械工業会はVTR委員会を設けて検討を重ねた結果、同四四年八月に、電子機械工業会統一1形VTR規格を完成して発表し、以後、各メーカーはこの規格に則ってVTRの生産を開始した。この電子機械工業会統一1形VTR規格は、前記のようにテープ相互の互換性の実現を目的としたものであることから、磁気テープに記録された磁気パターンの規格及びこれに関連した事項についての規格であり、この統一規格においては、音声記録トラックはテープの上端にトラック幅一ミリメートルの単一トラック、固定ヘッドで設けることとされた(五五頁ないし五九頁)。また、カラーVTRについては、電子機械工業会は、昭和四六年七月に統一規格を発表し、以後この規格に基づいたカラーVTRが各メーカーから発売されているところ、このカラーVTRの統一規格においても、前記の統一1形VTRで記録したテープと互換性を有することが基本となっていることから、テープ上に記録されるパターンは全く同じとされた。

以上の事実が認められ、他にこれを左右する証拠はない。

この事実によれば、我が国においては、昭和四四年八月の電子機械工業会による統一1形VTR規格の発表以来、VTRにおける記録テープの記録方式は互換性を実現する観点から、統一されてきたこと、この統一規格においては、音声記録トラックはテープの上端にトラック幅一ミリメートルの単一トラック、固定ヘッドで設けることとされていたこと、かかる記録方式は、昭和四六年七月に統一規格が発表されたカラーVTRにおいても同一であったことが認められるところである。のみならず、成立に争いのない甲第五号証によれば、右統一規格発表前の昭和三五年一〇月八日出願に係るVTRの磁気記録方式に関する発明においても、「従来の磁気録画装置」における音声信号の記録トラックについて「音声信号は磁気媒体の側縁に別の固定ヘッドをもつて記録している。」(一頁左欄下から五行ないし右欄三行)としていることが認められるところである。

ところで、引用発明一はその出願公開公報である甲第五号証によれば、昭和四七年六月三〇日の出願であり、その発明は、VTRにおいて、「映像信号を記録する記録ヘッドをもつて該映像信号の記録周波数帯域の低い側に該記録周波数帯域とは充分、離間して色信号を記録し、該色信号と上記映像信号との中間に形成された帯域に低周波信号を記録するようにした磁気録画再生装置の低周波信号の記録装置」(特許請求の範囲)に係る発明であるから、この発明においては、音声信号を映像信号と同一トラック上に記録することを可能とすることを技術課題としてこれを実現したものであることが認められる。そして、右甲第五号証の「発明の詳細な説明」の中に記載された「従来の音声記録トラック」(この記載があることについては当事者間に争いがない。)については、VTR業界における記録方式を巡る前記の技術的背景、とりわけ前記認定の電子機械工業会による統一1形VTR規格開発の経緯、統一形完成の時期、及び、その後の統一形の浸透状況を踏まえ、かかる技術的背景の中において引用発明一の前記の技術課題を位置づけた上で、何らの留保も付されていない右記載を理解するならば、右「従来の音声記録トラック」とは、特段の事情がない限り、テープの上端に設けられた統一規格形における音声記録トラックを意味するものと理解するのが相当というべきである。なお、同引用例記載の図面には、テープ走行方向の音声記録トラック及びこれを記録再生する固定ヘッドの記載はないが、右図面は前述した技術課題の解決を示した引用発明一の理解に必要な限度で記載されたものと解するのが相当であるから、当業者にとって右事項に関連した周知の事項が記載されていないことの一事から、これが存在しないものと即断するのは相当ではなく、むしろ当然の前提事項として記載を省略したものと解するのが相当であるから、かかる事情は何ら前記認定の妨げとなるものではない。

原告は、引用発明一の出願当時、映像・音声重畳記録方式による音声記録トラック以外に、テープ走行方向に斜めの音声記録トラックも周知であったと主張し、成立に争いのない甲第七号証を援用するので、以下この点について検討する。確かに、右甲号証には、昭和三〇年代の英国の発明として、五個の変換ヘッドを有するVTR装置において、カラーテレビジョン記録に用いられる五本のテープ走行方向に斜めのトラックを有し、右五本のトラックは音声波形トラック、同期波形トラック及び三つのビデオカラー成分波形を構成するものとされていることが認められるところであるから、この事実によれば、原告主張のとおり、テープ走行方向に斜めの音声記録トラックも本願出願前に公知であったことが認められるところである。

しかしながら、引用例一の前記「従来の音声記録トラック」の意味内容を確定する上において、甲第七号証の記載がいかなる意義を有するかは、同号証記載の右記録方式が単に公知であったというだけでは足りず、右技術が引用発明一の出願当時における我が国のVTR技術の当業者一般がいかなる意味を有する技術として理解していたかが明らかにされなければならないものであるところ、かかる観点からみると、前記のテープ走行方向に平行な音声記録トラックは、引用発明一の出願前において、VTR業界の統一規格として浸透していたのに対し、本件全記録を精査しても甲第七号証記載の前記の記録方式が右統一規格形と同程度に普及したものとして理解されていたことを推認させる資料は全くない。原告は、甲第七号証記載の前記技術は引用発明一の出願当時において周知であったと主張するところ、右甲号証は、英国特許である上、昭和三三年三月六日に特許庁資料館に受入れられたものであることは右甲号証の記載から明らかであるが、右時期は、前記認定の事実に照らすと、我が国において小形VTRが発売された最初の年である昭和三九年より相当以前であることからすると、甲第七号証の存在のみをもって、前記の記録方式が引用例一の出願当時において周知であったとまでは認め難く、他にこれを認めるに足りる証拠もないから、甲第七号証の存在をもって、 「従来の音声記録トラック」に関する前記の理解を左右することは困難というべきである。

のみならず、仮に、原告主張のように甲第七号証記載の技術内容が引用発明一の出願当時において周知であったとしても、何らの留保も付されていない右甲号証の前記「従来の音声記録トラック」の記載から、VTR業界に統一規格として浸透していた前記のテープ走行方向に平行な音声記録トラックを排除する合理的理由(引用例一の「ステレオ記録等が可能となる」との記載部分を加味しても、合理的理由が見いだし得ないことは、後述するとおりである。)は、何ら見いだすことはできないのであるから、仮に、原告主張のテープ走行方向に斜めの音声記録トラックが含まれる余地があったとしても、この事実がテープ走行方向に平行な音声記録トラックを排除するまでの意味を有するものとは到底解されない。

次に、原告は、引用例一においては、引用発明一に係る前記の映像信号と同一トラック上に記録された音声信号と前記の「従来の音声記録トラック」との併用により「ステレオ記録等が可能となる」との記載があることを根拠に、「ステレオ記録等が可能となる」音声記録は、テープ走行方向に斜めに記録されたトラックしかないと主張するので、以下この点について検討する。

成立に争いのない甲第八号証には、従来の固定ヘッドによる音声記録方式の問題点を改良するために、音声記録と映像記録を回転ヘッドにより重畳記録することにより、音声周波数の範囲を十分に広げることができ、良音質に再現することができるとの記載が認められ、同甲第九号証(電波科學一九五八年四月号掲載の「一本の針で立体再生 日本ビクター 『45-45』立体レコード」なる論文)には、ステレオ、すなわち、立体再生の条件として、「<1>左右両チャンネルが完全に同一の特性を有すること。<2>左右両チャンネルのレベルが等しいこと。<3>左右両チャンネルは完全に同期し、位相差が高域に至るも生ぜぬこと、すなわち同期性を有すること。」(八八頁)、「両信号の特性全く等しくかつ同時性が完全であり立体再生としての条件は完壁である。」(九〇頁)等の記載が認められ、同甲第一〇号証(昭和四四年三月二〇日日本放送出版協会発行、阿部美春編著「テープレコーダ」一九頁)には、一覧表示された各種録音方式のうち、ステレオの場合においては、同等のステレオトラックが使用されることが示されており、同甲第一一号証(米国特許第二九一五五九五号明細書)及び同甲第一二号証(昭和六三年六月二〇日株式会社電波新聞社発行「ビデオ技術ハンドブック」収載の岩井幸彦著「ホームビデオのメカニズム」六三頁及び芹沢遼一著「ビデオの音声」一二三頁ないし一二七頁)の中にも前掲甲第一〇号証と同趣旨の記載が認められるところであり、これらは、要するに、完璧な、あるいは望ましいステレオ化の条件を満たすためには、前記のような諸条件を満たす必要があるとの立場から、その実現を目指したものと解することができるところである。

これに対し、成立に争いのない乙第七号証(昭和四三年二月二五日株式会社オーム社発行、日本オーディオ協会編「新版 アマチュア オーディオハンドブック」)によれば、「ステレオホニック・サウンド」とは、「二つ以上のマイクロホンの出力をそれぞれ別の増幅器で増幅してスピーカに導き、そのスピーカからの音でつくられた音場が原音場と同じようになった場合、これがステレオホニック・サウンドと呼ばれ、音の動きや広がりが感じられるようになる。」(一五頁左欄下から一五行ないし一〇行)とあることからすると、ステレオ化の程度はともかくして、ステレオとは、広義には、二音源から構成された音をいうものと解されるところである。

そこで、引用例一のこの点に関する記載をみると、「本発明は磁気録画装置(VTR)において、映像を記録する磁気ヘッドをもつて低周波信号例えば音声を同一磁気トラツク上に記録できる様に考慮し、従つて従来の音声記録トラツクとの併用によりステレオ等が可能となる様にしたものである。」(一頁左欄下から九行ないし四行)とあり、既に述べたように、引用発明一の目的は、音声を映像と同一の磁気トラツク上に記録できるようにした点にあるのであり、そこにおいて達成された結果を利用すると、「ステレオ等」が可能となることを指摘したものであるから、その具体的実現はもとより引用発明一の直接の目的ではないのであって、かかる意味で、右記載は同発明の一つの利用可能な用途を指摘したにすぎないものと解するのが相当というべきである。

そして、かかる見地から、引用例一の右記載をみると、そこにおいては何ら具体的なステレオ化については検討されていないのであるから、そこにおいて原告援用の前記甲第八ないし第一二号証に記載のようないわば完璧な、あるいは望ましいステレオ化の条件を満たすもののみが、予定されていると限定して理解すべき理由はないものというべきである。

そうすると、引用発明一においても、テープ走行方向に斜めの音声記録トラックとテープ走行方向に平行な音声記録トラックを使用して二音源からのステレオ化が可能となるから、広義のステレオの条件を満たしているものと解される。

このように、引用例一の「従来の音声記録トラック」はテープ走行方向に平行な音声記録トラックを示すものということができるから、本願発明と引用発明一との共通点の認定に誤りはなく、したがって、審決が原告主張のような相違点を看過したものということはできない。よって、原告主張の取消事由は理由がない。

2  そこで、審決の相違点<1>及び<2>に対する判断の適否について検討する。

まず、相違点<1>についてみると、VTRにおいて、ヘッドを記録と再生に兼用するための切替スイッチを設けることは、従来より極めて普通に行われている技術であり、原告も争わないところであるから、相違点<1>が単なる周知技術にすぎないとした審決の認定判断に誤りはない。

次に相違点<2>についてみると、成立に争いのない乙第五号証(昭和四六年一〇月三〇日株式会社コロナ社発行、澤崎憲一編著「VTR」)によれば、本願出願より一〇年近くも前である昭和四六年の時点において、既に一〇数社から再生映像に合わせて録音のし直し、すなわち、「アフレコが可能なVTRが市販されていた事実が認められる。かかる事実及び従来のテープ走行方向に平行な音声記録トラックの利用可能性の存在を前提とすると、審決の理由の要点に摘示された技術内容について当事者間に争いのない引用例二から相違点<2>に係る構成を想到可能とした審決の認定判断に誤りがあるとすることはできない。

3  本願明細書によれば、本願発明においては音声信号を映像信号の記録トラック上に重畳記録する方法においてもアフレコが可能となり、しかもそのアフレコは、映像信号に重畳記録した音声信号を消去しなくても可能である効果を奏することが認められるが、右効果は、引用発明一と本願発明との相違点<1>、<2>に審決の理由の要点4摘示の周知技術及び引用発明二の技術を転用したことにより当然予測し得る範囲内のものであり、これを格別なものとまで認めることはできない。

三  よって、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松野嘉貞 裁判官 濵崎浩一 裁判官 田中信義)

別紙図面(一)

<省略>

別紙図面(二)

<省略>

<省略>

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